開祖、宗道臣先生は祖父の宗 重遠先生から不遷流柔術を学んだそうです。
不遷流柔術の開祖は、幕末の曹洞宗の僧侶「拳骨和尚」と呼ばれた武田 物外先生。
宗道臣先生は戦後昭和23年11月16日、
丸亀市での八光流地方講習会に中野道臣の旧姓で参加し入門したとのことです。
この時に八光流柔術の初段技を一通り学びました。
八光流柔術は、大東流合気柔術をもとに初代・奥山龍峰先生によって創始された護身術です。
大東流合気柔術は、会津藩の上級武士にのみ極秘裏に教授された武道。
会津藩家老 保科頼母(西郷頼母)先生が、
会津武田氏の武術家武田惣角先生に
御式内(おしきうち)の技法を伝承され
武田惣角先生から合気道の創始者植芝盛平先生らにも伝承されました。
大東流合気柔術 は、 戦時中後に
植芝盛平先生や弟子の富木謙治先生により
諜報機関スパイ養成学校の陸軍中野学校、
陸軍憲兵学校、陸軍戸山学校、海軍大学校等で教えられたという。
宗道臣先生は大日本帝国陸軍の特務工作員であったことから
軍事訓練で大東流合気柔術と合気道をある程度学んでいたと思われます。
開祖が学んだ環境をを考えると少林寺拳法の柔法技の多くは、
不遷流柔術、大東流合気柔術、八光流柔術、合気道の技と
中国で学んだ武道を融合し創意工夫され作られているようです。
このことから技の真髄を追究するにはこれらの武道を一つの手本にするのは有効であり、
少林寺拳法だけでは得られない新しい発見が無数に存在します。
技のバリエーションの豊富さに感嘆し、発想の転換が必要であったと思い知らされます。
もちろん、反対に少林寺拳法の優れた部分も再発見できると思います。
八重の桜で注目を浴びる会津藩ですが、
戊辰戦争で西郷頼母先生や武田惣角先生がもし戦死していたら
大東流合気柔術は歴史の闇に埋もれ
大東流合気柔術、八光流柔術、合気道は現代に存在しなかったかもしれません。
少林寺拳法の柔法の法形の多くも存在しなかったはずです。
命懸けでこの世にすばらしいこの武道を残してくれた
先人の先生たちに深く敬意を払わなくてはなりません。
不遷流
肘抜き前天秤
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