旧ソビエトベラルーシに広がる森林地帯。行く手に立ち入り禁止区域があらわれました。
20年前、チェルノブイリ原子力発電所から撒き散らかされた
放射性物質が今も大地を汚染しつづけています。
1986年、4月26日未明、旧ソビエトウクライナチェルノブイリ原発4号炉が爆発しました。屋根が吹き飛ばされ、大量の放射能がもれだしました。放射性物質の除去や原発をコンクリートで覆う作業などに60万人の人が動員されました.十分な防護策も施されず、強い放射線を浴びながら働いた人々、ロシア語で、リクビダートル、後始末をする人と呼ばれました。それから20年、旧ソビエトの、各地で暮らすリクビダートルに今癌が多発しています。放射線が飛び散った汚染地帯隊は原発から600キロまで及び500万人が被曝しました。放射性物質は除去されておらず、今も放射線を出し続けています。長期にわたって被爆した人からは、染色体の異常が相次いで見つかっています。先天的な病気を持って生まれてくる子供も増えているため,被爆との関係が研究者によって調べられています。
チェルノブイリの惨事から20年、汚染された大地で今何がおきているのか追いました。
チェルノブイリ原発から南に120キロ,ウクライナの首都キエフ。ここに旧ソビエト政府がリクビダートルとその家族4万人に提供したアパートがあります。
アパートの前に人だかりができていました。リクビダートルの男性の葬儀でした。44歳。心臓病で亡くなりました。このアパートでは、ここ数年病気で亡くなる人が急増。移住してきた4万人は、2万人にまで減っています。
「人が次々死んでいきます。私の父も、リクビダートルでしたが45歳でなくなりました。みんな50歳まで持たないんです。」
最近リクビダートルに、特に多発しているのが癌です。
リディア ツァリョバさん、65歳。5年前、腸に癌がみつかり、手術を受けましたが、いまだに食事がほとんどとれません。
ツァリョバさんは、チェルノブイリでトラックの運転手をしていました。事故後も4年間原発の中で、放射能を測定する仕事に携わる仕事をしていました。自分がどれだけ被爆したのか知らされていませんでした。
「当時はどれくらい危険なのかよくわかりませんでした。体に異常も感じませんでしたし、後になって、こんなにひどいひどい目に合うとは思いもしませんでした。」
ビクトル ガイダクさん65歳。おととし、胃に癌が見つかりました。胃をすべて切除し一日の大半をベットの上で過ごしています。
事故の時、隣接する原子炉で建設作業に携わっていたガイダクさん。その後も原発内で、仲間のリクビダートルの浴びた放射線量をチェックする仕事を9年間、続けました。ガイダクさんは、自分の浴びた放射線量を記録した書類をもっていました。
事故が起きた時の線量は50レントゲン、その後線量は減りましたが、9年間放射線を浴び続けました。
放射線の人体への影響は、広島、長崎の、原爆被爆者12万人の追跡調査によって明らかにされてきました。
事故の年に、ガイダクさんが浴びた50レントゲンは、広島では爆心から1.5キロメ付近の被爆に相当します。
広島では10数年から20年が過ぎてガンになる人が増えました。
事故から18年を経て発症したガイダクさんのがん。広島の被爆者と符合します。
酒も飲まず、たばこも吸わず、健康に暮らしてきたガイダクさん。突然の発病でした。
「私は、自分の健康を差し出してしまったのです。健康より大切なものなんてないのに。取返しのつかないことをしてしまいました。」
ガイダクさんが大切にしている物があります。国家の危機を救った英雄として授与された勲章です。事故の後、ソビエト政府の表彰式に参列するリクビダートルの映像です。
リクビダートルには、危険な労働の代償として、住まい、高額な年金、無料の手厚い医療などが、生涯保障されました。
しかし、事故から5年後、ソビエト連邦が崩壊、60万人のリクビダートルは、分離独立したウクライナ、ロシア、ベラルーシなどに別れて暮らすことになりました。保障されていた特権は、それぞれの政府に引き継がれました。しかし経済の低迷が続く中、年金は大幅に目減りし、医療費も事実上自己負担を求められています。
「私は、リクビダートルとして、国のために一生懸命働いてきました。国が起こした事故のために、それなのに、どうして、私たちを見捨てるのでしょうか。」
事故当日、ガイダクさんが住んでいた町を撮影した映像です。
白く光るのは、放射線によってフィルムが感光した跡です。原発から4キロ。ガイダクさんの家族や住民は、重大な事故が起きたこと知らされず、避難命令が出るまでの1日半、大量の放射線を浴び続けました。今、リクビダートルだけでなく、その家族にも癌がひろがっています。ガイダクさんの妻,リディアさんが胃癌にたおれた直後、子宮がんを発病しました。しかしまだ、手術をうけられないでいます。ガイダクさんの手術で貯金を使い果たし入院できないのです。
「なぜ、これほど救いのない状況に追い込まれなければならないのでしょう。ひどい話です。私は、人生を共にした伴侶を救うことすらできない男になってしまったのです。」
広島で癌が本格的にふえたのは、被爆から20年たった後のことです。リクビダートルとその家族の癌は、今後さらに増える可能性があります。
ウクライナに住むリクビダートル、20万人の健康状態を、国の研究機関が追跡調査した結果です。癌による死者の調査は、事故の6年後から、資金不足のために打ち切られる2000年まで9年間、毎年行われました。リクビダートルの癌による死亡率は、事故後年々上昇し、2000年には、一般の人の3倍に達していたことがわかりました。
この調査を行ったウクライナ放射線医科学研究所の所長ボロディミール ベベシュコ博士です。リクビダートルの癌による死亡率がさらに上昇していると考えています。
「放射線が他の要因と合わさることで、健康に悪影響を与えていることはまぎれもない事実です。人々を悪性腫瘍 つまり癌から守ることを最優先に考えなければなりません。そうしなければ多くの人が亡くなってしまいます。」
しかし去年、チェルノブイリの事故と健康被害を、限定的にみる報告書が発表されました。オーストリア、ウイーンに本部を置くIAEA国際原子力機関。IAEAは、世界各国から、100人を超える科学者を招集し、チェルノブイリ事故の被害を客観的に評価するためとして会議を開きました。
この席で、エルバラダイ事務局長は、こう発言しました。
「死亡者が何万人にも上るという誤った情報が、事態をさらに悪化させた。原子力産業への根深い不信をもたらした。」
欧米では、事故後、大規模な原発反対運動がおこり、原発の新規の建設が次々と中止に追い込まれました。原子力の平和利用を推進するIAEAにとって、憂慮する事態が続いていたのです。
去年9月、マスコミや一般向けに発表された会議の報告書は、被害の規模や因果関係の認定について、厳しい姿勢を打ち出しました。事故の死亡者が何万人何十万人にのぼるとあるが、これは誇張である。多くは、放射線の影響というより、貧困や医療の不備によるもので、酒の飲みすぎ、たばこの吸いすぎのほうが問題である。そして、リクビダートルの死者については、被爆が原因で死亡した可能性があるのは50人と記しています。
この報告書に対して、各国の研究者から反論が相次ぎました。リクビダートルの健康被害を調査したベベシュコ博士もウクライナの代表として、IAEAの会議に参加しました。しかし提出した資料は、信頼性に疑問があるとして採用されなかったといいます。
「彼らのやり方には、不満を感じています。チェルノブイリによる健康被害が過小評価されています。私たちの考えを、改めて、IAEAに送るつもりです。そのうえで訂正してもらいたいとおもっています。」
チェルノブイリ事故では、およそ40種類の放射性物質が大量に大気中に放出され、風に乗って広い範囲を汚染しました。
大地を汚染し続けるのは、チェルノブイリ原発から放出された放射性物質の一つセシウムです。300年にわたって、放射線を出し続けます。濃い紫色の所は、大量のセシウムで汚染され、立ち入りが禁止されています。しかしそれ以外のほとんどの地域では人の居住は制限されていません。ブラフコさんが住んでいたのもこうした地域でした。
ゴメリ州、カリンコビッチ、(1~5Ci/k㎡ ベクレル/㎡換算で3.7万ベクレル~18.5万ベクレル/㎡)
ブラフコさんはセシウムによる低線量の被爆が続くこの町で、事故後19年間暮らし続けました。
いまも、妻のナターシャさんが息子と暮らしています。夫のブラフコさんからの電話です。国は、この町が今も汚染されていることはみとめていますが、住民には、得に説明していません。去年5月夫婦で撮った写真です。この翌日診察を受けたブラフコさんは、そのまま入院しました。事故から19年、突然の発病でした。
「ただ信じられないという思いでした。先生に「白血病なんて何かの間違いじゃない?こんなことありえない」と言いました。先生は、しばらくは何も答えてくれませんでした。そして、「私にもわからないことが起きている」といったんです」。
医師が撮影した映像です。熱は連日39度を超えていました。これまで、ブラフコさんのような、低い、線量の被爆と癌や白血病の因果関係はみとめられてきませんでした。
しかし最近、
低線量でも長い間被爆すると白血病や癌を引き起こす可能性がある
という研究が相次いで発表されています。その一つ、国連の国際がん研究機関の論文です。
長期にわたって低線量を被爆している世界15か国、60万人の原発労働者を調査したところ、がんや白血病で亡くなったひとのうち1%から2%が被爆が原因だった可能性があることが明らかにされました。論文を発表した国際がん研究機関のエリザベス カーディス博士です。たとえ発病するリスクが小さくても数百万人に及ぶ住民が、今も、長期にわたって、被爆している実態は見過ごせないと主張しています。
カーディス博士「チェルノブイリで被爆した人たちは、事故とずっと放射線を浴び、それは今も続いています。被爆している数も膨大です。低い線量であっても、白血病や、癌を発症する危険性を無視してはいけません。」
しかしこの主張は去年9月のIAEAの報告書にはもりこまれませんでした。この程度の被爆で、白血病が増加している証拠をつかむのは到底無理だとしています。ベラルーシでは今も、多くの国民が汚染地区で採れた農作物や家畜を食べ続けています。これまで、ベラルーシ政府は、汚染された土や家屋を除去するなど、多い年には、国家予算の2割を費やして対策を行ってきました。先月3選を果たしたルカシェンコ大統領は、汚染地の再利用に乗り出しています。放射能を恐れ、人が住まなくなったゴメリ州の農地に新しい住宅を建てました。人々に帰ってきて農業を再開するよう呼びかけています。
大統領「事故を忘れるのは良いことです。変わりに私たちが覚えておきますから。政府は、国民に恐怖を植え付けすぎたのです。」
事故から20年、低い線量による長期被爆の影響が解明されていない中、ベラルーシ政府の汚染対策が、転換し始めています。
20年に及ぶ低線量長期被爆でもう一つ懸念されていることがあります。生まれてくる子供への遺伝的影響です。
広島大学名誉教授の佐藤幸男医師は、遺伝的影響の調査のため、ベラルーシをこれまで50回以上訪れています。広島では、被爆による遺伝的影響は確認されていません。
しかし、佐藤さんは、広島とは違う、長期にわたる被曝の影響を懸念しています。
佐藤医師「広島のデータというのは非常に参考にはなりますけど、決してオールマイティではありません。ご存知のように被爆の型も様相も違いますから。広島の考えを即こちらに持ち込んで、その通りでないといけないという目で見るのはまちがっていだと思います。」
佐藤さんは、ベラルーシで40年にわたって、遺伝の研究を行っているゲンナジー ラジューク博士と共同研究を行ってきました。二人はこれまで、低線量被爆し続けている住民の染色体を調べてきました。異常が見つかった血液の細胞の染色体です。矢印の染色体がちぎれ、別の染色体にくっついています。染色体の異常が、精子や卵子の生殖細胞で起きれば子供に先天的な病気が現れる可能性があります。
汚染の続くゴメリと、汚染のほとんどないミンスクで、事故後生まれた子供に染色体の異常がどの程度見つかるかその頻度を比べました。この調査でゴメリで生まれた子供に似染色体の異常が見つかる頻度は
ミンスクの子供の十倍に上ったのです。
先天的な病気を持つ子供の数も調べました。ベラルーシでは以前から先天的異常の数も調べていたため、事故前のデータもあります。調査の結果事故後、先天的病気を持つ子供の数は、2倍にふえていることがわかりました。IAEAは事故による影響を一貫して認めていません。発見と報告の制度が整備されたことで、先天的異常の子供の登録数が増えたとしています。
二人は新たな調査を始めています。ベラルーシ各地で生まれた先天的な病気を持つ137人の子供とその親の染色体を調べたのです。子供にみられる血液の細胞の染色体異常が、親にも見つかれば、親にも先天的な病気があり、それが受け継がれたものと考えられます。親に染色体の異常が見られない場合は、被爆も含む何らかの理由によって、親の生殖細胞の染色体に突然変異が起きたと考えられます。
その突然変異の割合を、汚染地とそれ以外の地域で比べました。子供の先天的な病気が、親の生殖細胞の突然変異によって起きた割合は、汚染のほとんどない地域では68%、これに対して汚染地では89%に達しました。調べた親子の数はまだ少なく、二人はさらに調査が必要だと考えています。
佐藤医師
「少ない線量で染色体が異常があってそれが次の世代に伝わって染色体の疾患、異常じゃなくて異常が伝わって疾患が生じるわけでそれは、十分に考えうることで、これはもう長期にわたって観察しないと結論がまだ出せないっていう段階です。」
佐藤さんは、ラジューク博士とともに調査で染色体の異常が見つかった人との交流を続けています。この日は、首都ミンスクのアパートに暮らす、ある一家を尋ねました。
ビクトル マシコさんの家族です。マシコさんの3人の子供と甥と姪、合わせて5人のうち4人に染色体の異常が見つかっています。
一家は、チェルノブイリから60キロのゴメリ州のナローブリャに5年間住んでいました。
ナローブリャ Narovlya 555~1480 kBq/㎡
大量のセシウムがまき散らされた地域です。長女のオリガさん二十歳。生まれて6か月の時、事故が起き、5歳まで汚染地で暮らしました。このアパートに移った後、血液細胞に染色体の異常が見つかりました。
「これがオリガです。事故から5日後に撮った写真です。人生の中で最悪の日ですよ。この日まで事故のことは何も知りませんでした。」
「メーデーでばんざいって叫んでましたよ。私たちは、5年間、汚染地帯にくらしていました。ですから娘たちの子供、さらにその子供に何か起こるかもしれません。何も異常がないことを祈るだけです。」
血液細胞の染色体異常は、遺伝に直接つながるわけではありません。健康にも今までのところ、問題がありません。
しかし、幼いころ、被爆していたという事実はは、オリガさんに重くのしかかっています。
オリガの声「はた目には、元気に見えるかもしれませんが、忘れることはできません。放射能、事故、そこからは逃げられないんです。」
佐藤さんの妻は、原爆の被爆者です。同じ不安を抱えてきた、広島の被爆者のことを話すなどしてオリガさんたちを支えています。
佐藤医師の声
「この家庭もね、特にそういう明るく生きていこうという前向きの姿勢は共感できますが、それだけにその裏には深い、やっぱり背負ったものがあるなと。20年は、一つの節目ですけど、あの別な視線で見ますと、今からがまた、さまざまな問題のの始まりっていいますか、子供さんが成長してまた次の世代に移っていくという、意味では、今からまた新しい問題が始まってくるという風に思っています。」
去年9月IAEAが出した報告には、会議に参加した各国の専門家や公的機関から異論が相次ぎました。批判を受けたIAEAは、先月改定版を発表しました。何か所か、修正がくわえられています。
癌による正確な死者の数は、推定が不可能としたうえで、リクビダートルの死者を、50人としていた記述を、現在把握できているのは50人と改めました。白血病については、増加している証拠をつかむのは到底無理だという表現が削除され、代わりに調査を継続すべきだという一文が加えられました。
遺伝的影響の記述には変わりがなく、この程度の線量では起こりえないとしています。
リクビダートルが暮らす、ウクライナのアパートです。この日も癌で亡くなった住民の葬儀が行われていました。ベラルーシ ゴメリの被爆者専門病院。この3か月で15人が白血病で亡くなりました。ブラフコさんの病状はさらに悪化しています。一切の面会は謝絶。正常な白血球がほとんど失われていました。妻のナターシャさん、医師からは、助かる見込みはほとんどないと告げられていました。
ブラフコさんの声「話すこともうまくできないんだ、のどが痛いし、窓も開かないのに何でおれは風邪をひくのかな、でも 前を向かないと もがかないとおぼれてしまうからな。生きたいよ 家族のために。」
人類史上最大の核汚染、チェルノブイリから20年、事故の幕引きの動きがある中、真実をつきとめようとする医師たちの、治療と研究が続いています。500万人を超える被爆者に何が起きているのか、明らかにされるのは、これからです。 |
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