サンデル
「ここまで議論してきたのは責任という問題だ。
原発災害の賠償について誰が金を払う責任があるのかと
賠償に関わる責任や理念についてではなく、
現実問題としてどうするべきかという意見もあった。
その議論の中で、東京電力はやはり倒産させられない。
影響が大きすぎるから救済しなければいけない。
という趣旨の意見があった。
それを聞いて私は、別の危機のことを思い出した。
責任や賠償について問題となった事例 世界金融危機
もちろんこれは、まったく違ったタイプの危機であったが、
責任と倫理の問題について興味深い共通点、相違点が見いだせるかもしれない。」
2008年9月
ニューヨーク証券取引所の株価が史上最悪の下げ幅を記録
その混乱は瞬く間に広がり100年に一度と言われる世界金融危機の引き金となった。
世界中で株価が急落。
金融危機は各国の実態経済にも襲いかかりました。
世界中で数千万人の雇用が奪われ住む家まで失った人も数多くいました。
巨大な金融バブルを作り出し挙句に崩壊へと導いたのはウォール街の投資銀行などの金融機関でした。
空虚でリスクの高い金融商品を世界中に売り付け巨万の富を築いていました。
ゴールドマンサックスCEO 年収70億円
モルダンスタンレーCEO 年収36億円
JPモルガン・チェースCEO 年収30億円
バンク オブ アメリカCEO 年収16億円
マネーゲームを暴走させ世界を奈落の底に突き落とした経営者達の責任が問われました。
「あなた方は投資家に多大な損害を与えただけではなく経済事態を壊してしまった。」
ところが政府が税金を投じて救済したのは、
金融危機の被害者ではなく、危機を作り出した側の金融機関の方でした。
ゴールドマンサックス 100億ドル
JPモルガン・チェース 250億ドル
シティーバンク 250億ドル
AGI(全最大の保険会社) 850億ドル
それぞれ税金を投じて救済した。
被害者に賠償するどころか税金によて救済された金融機関
こうした救済は公正なことなのでしょうか?
サンデル
「金融危機のときに議論された問題は、
税金で巨大な銀行を救うことは、確かに公平とは言えないかもしれない。
莫大な利益を自分のものにしていたウォールストリートの重役たちを税金で救うのはおかしい。
しかし政府は、危機的な金融機関を放置し金融市場全体がメルトダウンするのを見過ごす訳にはいかなかった。
そんなことをしたらもっと多くの被害者が生まれ、もっと多くの人が苦しむことになる。
そこで、学生達に聞きたい。
ウォール街の銀行や金融機関の救済、納税者の負担による救済は公正なことだったのか?不公平だったのか?
そしてどのように今回の原発危機の問題と比較できるだろうか?
共通点はあるのだろうか?
いずれの場合も民間の巨大な営利企業だ。
ビジネスがうまくいっていたときには、巨額の利益を稼ぎ潤う、
しかし一旦危機を迎えると納税者のお金で救済される。」
東京 ユウタロー
「東電であってもゴールドマンサックスであっても救済措置をとられるべきだと思います。
アンフェア関係なく。というのは、このことに対して国全体、世界の幸せの総数を考えたとき
その企業が支払いが出来なくなることで、皆の幸せが低下することであればサポートすべきであると思います。」
サンデル
「見過ごした場合の代償が大きく一般に人々が返って苦しむ状況が起きるのであれば
たとえ企業の無責任さが生み出した危機だとしても、それは救済されるべきと考えるということだね。
金融危機はまぎれもなく人間が引き起こした災害だった。
しかしあのとき税金に救済が行われたとき、アメリカの議会の証言で
印象的な発言があったのを覚えている。
あるウォール街のCEOが言った言葉。
彼は、私たちは金融の津波の呑みこまれてしまったのだと語った。
彼は津波という比喩を金融機関が引き起こした災害に使った。
これは、自然災害のようなもので自分たちに責任はない。
悪くはないんだというのが彼の主張だった。
金融危機のような放置してしまえば被害が拡大してしまう場合には、
公平さとうものは犠牲にしなくてはいけないのだろうか?
全体を救うためには仕方のないことなのだろうか?」
ボストンのシャーリーン
「これは、アンフェアだと思います。
理想的な社会だったら、問題を起こした人間は責任を取って被害者に弁償するでしょう。
でも残念ながら今の社会は、理想とは程遠いのです。
非常事態には公平さは犠牲にしないといけないのだと思います。」
東京 リョウイチ
「企業であっても責任の取り方とうのは、東京電力の場合と金融業とでは問題が違うと思います。
東京電力の場合は、企業として国民に安定した電力を供給して国民も利益を受けている。
金融業の場合は自分達の利益だけで、破たんしたら負担だけを国民に押し付けている。
これは非常に不公平なことであった、この二つの企業は区別されるものだと思います。」
ボストン ダック
「企業が利益を自分のものだけにしているという考えは同意できません。
企業はその利益に掛かる税金を払っているわけですし、
株主も当然、税金を払っています。
私は救済に賛成しましたが、
それは、金融機関を潰すには影響が大きすぎるからではなくて
金融機関の利益を実は社会も、享受していた。
だから負担も社会が共有すべきであると考えるからです。
企業や株主の高額の納税のおかげで社会は潤ったのですから
その企業が失敗したら今度は、その収めた税金からある程度のお金が還元してもよいのではないかという考え方です。」
サンデル
「では、企業の税金は災害保険みたいなものだと君が考えているんだね。」
ボストン ダック
「そうですね。リスクが高い企業はその分たくさんの税金を払うべきだったのかもしれませんが。」
上海 ウー
「政府による介入。経済学でいう“見える手”は市場のバランスに任せた“見えざる手”よりも
本来強力なはずです。最近アメリカではこの“見える手”つまり政府の規制と監視が不十分だったのだと思います。」
サンデル
「アメリカは、経済活動を規制する政府の“見える手”が足りないと」
上海 ウー
「だから金融危機が起きたのだと思います。」
ボストン ダック
「確かにもっと金融規制をするべきでしょう。
金融危機を二度としないようにするには何かが変わらなければいけません。」
ボストン ベン
「例えば、動物園の檻の中に、トラとウサギたちが居て
トラが全部ウサギを食べちゃったとします。
その悪いトラを憎むことは簡単ですが、
でもそこで飼育係は何をしていたんだと考える必要があります。
飼育係にはトラと同じくらい責任があるのです。
これと同じで政府には、事件が起きないように管理する責任があったのです。」
サンデル
「つまり、君の例え話を整理すると飼育係というのは、政府の監督官庁のことを指していて
彼らには、巨大で強いトラのような金融機関をコントロールする義務があったはずだということだね。
では、この例え話は東京電力の場合でも言えるのだろうか」
ボストン ベン
「はい、言えると思います」
東京 ケイ
「私も、東電、金融機関を救うことは不公平だと思いますが、必要なことだと思います。
どこまで政府が監督するべきかということですが、企業は基本的に自由であるべきだと思います。
ただ、何かを起こしたときに、その一企業だけじゃ責任を負いきれないことに関しては
もちろん国の管理がいると思いますし、今の時代だと、国を超えたインターナショナルなワールドな管理体制が
必ず必要になってくると思います。
お金の問題がメインになっていますが、
企業が生み出しているのは、サービス、商品、雇用を生み出している現実があります。
本当に自由にやった企業を放置していいのかいう問題にはならないと思います。
ジレンマになのですが、不公正だが必要な処置だったと思います。」
サンデル
「原子力エネルギーの将来につていどう考えるかという問題。
日本だけでなく世界中で議論が重ねられそれぞれが選択を迫られている。
世界では今原子力発電を巡って、どのような動きがあるのか」
原子力エネルギーをどう思うか?
Gallup国際世論調査
震災前 反対32% 賛成57%
震災後 反対43% 賛成49%
震災以降
ドイツでは脱電発を決めた。
現在国内にある17基の原発を2027年までにすべて廃止するという法案を可決しました。
イタリアでは、6月原発の是非を問う国民投票が行われ、その結果反対派が9割以上を占め、
エネルギー政策の見直しが決まりました。
一方原発を継続しる国もあります。
中国では、8月に国内では14基目となる新たな原発の稼働を開始しまいた。
現在、さらに27基の建設が進められている。
100基以上の世界最多の原発を保有しているアメリカは、
原発を推進していく方針を示している。
学生の意見
学生で原発の利用に反対 上海2人 ボストン0人 東京4人
今後も原発の利用に賛成 上海6人 ボストン8人 東京4人
ボストン シャリニ
「原発事故が引き起こす災害の大きさは私もみな分かっているつもりです。
原子力発電と原子力災害は必ずしもセットではないと思います。
日本には数多くの原発があるのに今回の津波で事故が起きたのは、一か所だけだったという事実があります。
やはり、有用性の高いエネルギーですし、人為的な理由ミスや怠慢によるものだったとうことも分かったと思います。」
上海 リン
「その昔、人間が初めて電力を使い始めた時のことを想像してみると、
それが危険なエネルギーだと不安に思った人もいたと思います。
でも現在中国ではエネルギー源の大部分を石炭に頼っています。
私達のような国にとって、原子力への転換は国のエネルギー問題を緩和する良い政策だと思います。
ですから、私達は原子力エネルギーが持つ可能性を簡単には手放す訳にはいかないのです。
でも、もし現実に原子力発電は私の家の近くにあったら、
それはとても危険だと思うしとても不安に感じてしまうと思います。」
サンデル
「今リンがとても興味深い問題定義をした。
彼女は原発には賛成だが近くには住みたくないという。
この質問を原発の利用に賛成した全員に聞いてみたい。
原発に賛成した学生の中で自分の住んでいる近所、コミュニティーの中に原発を建ててもいいと考える学生は?」
自分の家の近所に原発を建ててもいい
ボストン5人 東京1人 上海
近くに建ててもいいと考える 東京 ユウコ
「もちろん今回の事故の教訓をいかしてより安全性を高めるというのが条件だと思います。
やはり今の豊かな電力を消費する生活を捨てられない以上は、
誰かが自分に家の近くに原発を建てざるえない。
私は電力の豊かさのい恩恵を受けている身としては、仕方がないことだと思う。」
サンデル
「福島の場合では、
電気を利用する人達が住む場所、東京ではなくそこから離れた場所福島に置かれた。
そして原発の立地の見返りとして交付金や補助金が払われていた。
原発で作られた電気は利用したいが身近な場所に置きたくないコミュニティーが、
お金を払うことで他のコミュニティーに原発を受け入れてもらう。
リスクをお金で肩代わりしてもらうことは、公正だと言えるのだろうか?
別の言い方をすれば、豊かな地域が、お金を必要としている地域に原子力発電のアウトソース
外部に肩代わりしてもらうことは許されるのか?
お金と引き換えにリスクを肩代わりしてもらう、
原発を他の場所に受け入れてもらうことに倫理的な問題はあるのだろうか?」
上海 ホアン
「貧しい地域に経済的な理由だけで原発を押し付けるというのは不公平だと思います。
原発をどこに置くべきか考えられる解決策はいくつかあると思います。
政府が人口の少ない適した地域を選んでそこに原発を建てるという方法です。」
サンデル
「では、ある地域が補助金や経済的な見返りを期待して、自ら原発の受け入れを望んだ場合はどうだろうか?」
東京 ミオ
「私は、不公平だと思います。貧しい町がそこに原発が建てられることに賛成だとしても、
それは本当に自分達の自由な意思に基づいているのかというと私は基づいていないと思います。
原発を受け入れざる負えないような状況に置かれているから受け入れるのであって
それは自由な意思に基づいていないので公平ではない。」
サンデル
「これが、二つの国の場合はどうだろうか?
豊かな国、貧しい国の場合だったらどうだろう?
お金のある国が廃棄物の処理に困っていたとしよう。
それは核廃棄物かもしれないし、他の廃棄物かもしれない。
そこにお金を貰えれば、その廃棄物を受け入れてもよいと名乗りでた貧しい国があったとする。
その取引には何か問題があるのだろうか?
それとも貿易とはそういうものなのだろうか?」
東京 ミオ
「そもそも二つの国での約束が始まる時点での経済的な状況は不平等なものだと思うので
自由なトレードにはなっていないと思います。
貧しい国が、自由な意思でそれを受け入れているとはいえないと思います。」
東京 コウセイ
「すべて効率性重視のために物事が進んでしまっていて、
道徳的によかったのかどうかの観点から見る必要があると思います。」
上海 ルー
「私が気になるのは、貧しい国が受け入れるかどうかだけではなく、誰がそれを決めるのかということです。
それは政府なのか、人民なのか企業なのか?そこにも問題があると思います。」
ボストン リチャード
「これが不平等だという議論もよくわかりますが、ビジネスだと思います。
二つの国がグローバルな貿易をする場合、いつだって何かしらの格差があると思います。
二つの国がまったく同じ境遇ということはないと思います。
いつだって有利、不利があると思います。
でも、貧しい国にも断る権利があるのです。
そのビジネスを選ばないという選択があるのです。」
ボストン ベン
「確かにビジネスだと思いますが、ひどいですね。
ビジネスだからといって正当化されるものではないと思います。」
東京 ユウタロウ
「すべての経済活動で似ていることが起こっていて、
すべてのもを見たときにその生産過程でどこかしらで有害なものが出ている可能性が高いと思います。
それを皆知っていて今の経済活動を行っていて、その延長線上にその活動があるということは、
しっかりリスクを理解して補償を払えば問題ないと考えます。」
東京 ケンジ
「もし、リスクの押し付けが自由意思のない状態で行われたなら不公平だと思いますが、
その見返りを確保しなけばならないと思います。
誰かが、爆弾を抱えなければならない状況で、
それに対するリターンは莫大で、そのリスクに見合うだけ大きさのリターンでなければならないと思います。」
サンデル
「リスクのアウトソーシングの例を上げてみよう。
アメリカの南北戦争での徴兵制度に関する話だ。
当時の徴兵制度では、自分の代理人、つまり傭兵を金で雇って身代わりで戦場に送りだすことが法律上認められていた。
まさに、究極のアウトソースだ。これはフェアだろうか?
それとも認められないことだろうか?」
東京 ケンジ
「フェアだと思います。
自由意思で本人がリターンを得たいがためにリスクを冒す。さまざまなオプションの中から選択したのだからフェアだと思います。」
東京 エリコ
「お金で誰かを雇う側に人達には、相手にリスクをできる限り低くする責任があると思います。
誰かが代理で戦争に送るのなら戦争が早く終わるように手を尽くすべきです。
その人が安全でいられるように努力すべきです。」
サンデル
「今のエリコの提案は、実はこえまでの議論に新たな視点を加えるとても面白い意見だ。
今の話を原発の立地問題についても当てはめながら考えてみよう。
君の意見では、リスクをアウトソースすることはよい。
ただしその条件として、
例えば金持ちが傭兵を雇ったり、原発をお金と引き換えに受け入れてもらった場合
お金のやり取りが終了した後にも責任は負わなくてはならないということだね。」
東京 エリコ
「今回の場合でも東京や近所の人々は、福島の原発に注意を払い続けるべきでした。
私達には、その責任があると思います。」
サンデル
「非常に力強い考察だった。
リスクのアウトソース。そこには、ビジネスの取引とは違った倫理が必要だという指摘だった。
金銭の取引があった後にも道義的な責任があるということ。
それは、取引を始めた意思が自由意思によるものかどうかという議論を超えて存在する責任の話だ。
今夜、私達は、災害時の補償の在り方の議論から始めた。
その責任は自然災害と、人為的な災害の場合でどのような違いがあるかを考えた。
興味深いディスカッションが出来たと思う。
被害者への補償は誰が行うのか?誰が金を払うのか?
それは勿論、誰に責任があるのかという問題と表裏一体だった。
そして最後に質問は、あなたは原子力発電所のそばで暮すことができるか?という問いだった。
これについては、原発の利用に賛成した人でも、それは出来ないと正直に答えた。
するとここで新たな問いが生じた。
原発を利用しながらもそのリスクはお金でアウトソースすることは許されるのかという問いだ。
賛成する人はこれは取引でビジネスだから問題はない と言った。
一方で、相手にとってこれは自由な選択とは言えないと反対する人もいた。
あるいは、リスクが大きすぎてアウトソースすることが許されないことも世の中にはあるのかもしれない。
東京のエリコが新たな視点をこの議論に提供してくれた。
もしかすると、リスクのアウトソースが認めてもよいのかもしれない。
但し、お金を払っても責任は負い続ける。
お金を払ったからと言って責任は消えることではない。
今夜の議論は、ややもすると金や経済の話ばかりに聞こえたかもしれない。
決してそうではない。
これは詰まるところ人間の責任とは何かという倫理的な議論なのだ。
こうした難問に答えを出すためには、私達は率直に議論を交わし、
相手に対する責任、義務、公正さ、正義というものの意味を問い続けなければいけない。
今日の議論だけで問題を解決できた訳ではない。
それでも、私達全員で議論を重ねたこうした試みが、
日本でそして世界中の社会でたとえささやかでも何かに力になれればと願っている。
大きな災害や、苦しい困難に直面しても、人々に善意、良心に希望を持ち続け
人々が同じ社会の中で一緒に生きていくことの価値を感じ続けられるように |
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