放射線の生体影響については、国際放射線防護委員会(ICRP)が防護基準を勧告しています。いっぽう、欧州放射線リスク委員会(ECRR)も、より保守的な基準に改めるべき、という立場のもと、勧告を出しています。こうした科学と社会・政治の中間領域の議論に関し、コメントをお送りします。
山内知也(やまうち・ともや)教授
ECRR2010翻訳委員会, 神戸大学大学院海事科学研究科
ECRRとICRPの違いはどこにあるのか?
欧州放射線リスク委員会(ECRR)と国際放射線防護委員会(ICRP)との違いは、それぞれの最も新しい勧告であるECRR2010とICRP2007とを読み比べることで理解できるだろう。
いくつかの切り口はあると思うが、最も分かりやすいのがスウェーデン北部で取り組まれたチェルノブイル原発事故後の疫学調査に対する対応において両者の違いが端的に現れている。
その疫学調査はマーチン・トンデル氏によるもので、1988年から1996年までの期間に小さな地域コミュニティー毎のガン発症率をセシウムCs-137の汚染の測定レベルとの関係において調べたものであった。
それは、同国だからこそ出来た調査でもある。
結果は100 kBq/㎡の汚染当り11%増のガン発症率が検出されている。
このレベルの土壌汚染がもたらす年間の被ばく線量は3.4 mSv程度であり、
ICRPのいう0.05 /Svというガンのリスク係数では到底説明のつく結果ではなかった。
ECRRはこの疫学調査が自らの被ばくモデルの正しさを支持する証拠だと主張している一方で、
ICRPではこの論文を検討した形跡が認められない。
おそらく、結果に対して被ばく線量が低すぎるという理由で、
チェルノブイル原発事故による放射性降下物の影響ではあり得ないと考えていると思われる。
結果に対して線量が低すぎるので被ばくの影響ではないという議論は、
セラフィールド再処理工場周辺の小児白血病の多発や、
ベラルーシにおけるガン発生率の増加に対しても、劣化ウラン弾が退役軍人や周辺の住民にもたらしている影響に対しても行われてきているものである。
すなわち、ICRPの理論によれば低線量被ばく後にある疾患が発症すると、その原因は放射線によるものではないと結論される。
その一方で、ECRRの理論によれば新しい結果が出るたびにそれは自らの理論の正しさを示す証拠になる。
ECRRは、ICRPの内部被ばくの取扱において外部被ばくの結果に基づくリスク係数を使い、
臓器単位のサイズで被ばく線量を平均化しているところを一貫して批判している。
例えばベータ線を考えれば、それはその飛跡周辺の細胞にしか影響を与えないにも関わらず、
線量はkgサイズの質量で平均化されてしまう。
ガンマ線による外部被ばくのケースにおける光電効果と同じではないか、と思われる向きも多いだろうが、ECRRはそれぞれの放射性同位体核種とDNAや酵素との親和性を問題にしている。
細胞内のクリティカルな部分に近いところで発射されるベータ線やアルファ線に独自の荷重係数を掛けている。
それによって疫学調査において出てくるICRPとの数百倍のリスクの違いを説明しようとする立場に立っている。
ICRPの被ばくモデルはDNAの構造が理解される前に生み出されたものであるため、
そこでは分子レベルでの議論や細胞の応答について議論する余地はない。
単位質量当たりに吸収されるエネルギーの計算に終始するのみである。
このやり方だとひとつの細胞に時間差で2つの飛跡が影響を与える効果を考慮に入れること、
分子レベルでものを考えることが不可能になる。
ICRPのよって立つところは0.05 /Svというリスク係数であり、それは疫学の結果である。
その疫学とは広島と長崎に投下された原爆の影響調査であるが、
ECRRはその調査が原爆投下から5年以上経ってから開始されていること、
研究集団と参照集団の双方が内部被ばくの影響を受けていること、
それらの比較から導けるのは1回の急性の高線量の外部被ばくの結果であるが、
これを低い線量率の慢性的な内部被ばくに、
すなわち異なる形態の被ばく影響の評価に利用することを批判している。
同じ非政府組織であってもECRRは「市民組織」であり、
国連の科学委員会や国際原子力機関と連携しているICRPとは正確が異なる。
ECRRのメンバーはチェルノブイリ原発事故の影響を旧ソビエト連邦圏の研究者らとともに明らかにしようとしているが、ICRPのメンバーは(例えば、ICRP2007をまとめた当時の議長は)チェルノブイリ原発事故で被ばくによって死んだのは瓦礫の片付けに従事した30名の労働者だけであるとの発言が記録され問題視されている。彼は子供の甲状腺がんについても認めようとしていなかったのだった。
冒頭に述べたスウェーデンの疫学調査は3 kB/㎡以下の汚染地帯が参照集団として選ばれ、
最も高い汚染が120 kBq/㎡というレベルであった。
これは今の福島県各地の汚染と同等であり、むしろ福島県の方が汚染のレベルは高い。
ECRRの科学幹事が盛んに警告を発している根拠のひとつがここにある。
過去に同様の汚染地帯で過剰なガン死が統計的に検出されたという経験を人類が持っているからであって、このような研究結果を知らない人にはその警告の真意や彼の気持は伝わりにくいのかも知れない。
全身影響についての全集団に対するICRP2007 並びにECRR の修正リスク係数
ICRP 2007 の絶対リスク値は5.5×10-2 /Sv
1Sv で10,000 人あたり550 人の致死ガンが発生する
結 果 |
ICRP リスク係数
(毎シーベルト) |
ECRR リスク係数
(毎シーベルトECRR) |
致死ガン |
0.05 |
0.1 |
非致死ガン |
0.1 |
0.2 |
遺伝性疾患 |
0.02 |
0.04 |
心臓病 |
仮定されていない |
0.05 |
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/GN/GN9705.html
チェルノブイリ原発事故によるベラルーシでの遺伝的影響
原子力資料情報室
欧州放射線リスク委員会勧告
福島県飯舘村のセシウム137 による土壌汚染レベルの推定 今中哲二氏
チェルノブイリ事故による死者数
|